ルナトリウム
文学部大学生♂・シュウのモラトリアム日記。詩(投稿自由)とか小説とかもありますよ。

ぼくが生まれて初めて読んだエロ本は、なんてことない写真雑誌だった。ただ、場所はややイレギュラーかもしれない。菩提寺の縁の下でのことだった。木組みをくぐったときにアリジゴクを見たのを今でも覚えている。
これが小1のときだったので、ヰタ・セクスアリスといえばそうなのだが、初っ端がこんなに直接的だと面白くない。でもまー、その雑誌を見た当初は性なんてものを意識してなかったように思う。「エロ本を読む」ことの禁忌性とかによって興奮していたんだろう。

となると、ぼくのヰタ・セクスアリスは、たぶん「ライブマン」のオープニングだろう。ぼくの戦隊モノの記憶はターボレンジャーから始まる。親に買ってもらったビデオに、ターボレンジャーまでの歴代戦隊ヒーロードラマのオープニング集というのがある(未だに持っている)。本編ではない、こういうストライクゾーンギリギリのものが当時から好きだった。
ライブマンのレッド、即ちレッドファルコン(嶋大輔)が搭乗するメカ、ジェットファルコンが敵のザコ戦闘機に接着され電撃を流される。そのときカメラがジェットファルコンのコクピットを映し、エフェクトの中で苦しむレッドのバストショットになるのだが、そこでやたら興奮した。あとブルードルフィンが火炎攻撃を受けて同じような演出になるのにも興奮した。
次に記憶があざやかなのが『火の鳥 黎明編』の、ナギがニニギのトビ・イサハヤを殺した制裁として馬に引き廻されるシーン。手塚の性描写には思春期を経た今までずっと心騒がせられるが、そのはじまりが多分これだろう。着物など破れきり、白目をむいて昏倒したナギのグラフィックスに、恐怖にかき消されない興奮を覚えた。「ここまでやるか」という感動を求め始めたのは、これが最初なのか?

と、書いてみてあまりにも嗜虐に偏っているなと思い、この前は思いとどまったのだった。
ここで嗜虐」という行為に興奮こそすれ、果たしてぼくはどっちの側に回りたいのか、という疑問が生じる。ずいぶん前から、自分のことをマゾヒストよりの人間だと思ってきたが、マゾとサドは決して対のもの・真逆のものではない、というのが最近の考えである。
それはまあ今はどうでもいい。
戦闘モノでは、孤立した弱者が強者に食ってかかり、一方的にいたぶられるという構図が散見される。DBでいう御飯vsベジータとか、御飯・クリリン・ベジータvsギニュー特戦隊とか。るろ剣の第三話とか。そういうシーンで興奮を覚えていた。ここで味方側の一軍キャラが助けに入って事態を収束させると何かしら残念に思ったものである。これは今でもそうだな。
80〜90年代アニメを見てきた人なら分かると思う、汚れた・傷ついたキャラに施される薄い黄土色の模様というかスタンプというか。レイヤーの最上層にある、ちょっと不透明度の低い、わかりやすく埃をかぶせたようなあの表現。アレが使われるのが好きだった、といえるかもしれない。




  1. 2008/04/25(金) 14:22:14|
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ここ最近、自分が書く文章のレベルがグングン落ちている気がして(ここ以外にも文章を書くスペースはあって)、有らん限りのデータベースをあさり、過去の自分の文章をチェックしている。

文章がうまくなるということは技術の獲得であるが、それは同時に、稚拙さの喪失でもある。稚拙さとして喪ったものが、そのときの自分の文章を優れさせていたなら、ぼくはうまくなると同時につまらなくなっているわけで、もしかしたら今、「うまくなったツケ」を払わなければならないのかもしれない。



ちょっと更新停滞してますが、スランプが低次のものなら、今度こそまともな更新ペースを作れると思います。でもそうなるとアダルト広告増えるんだよなああ。



  1. 2008/04/14(月) 23:35:49|
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