身内、親類や友人が直接の被害にあったわけではないが、ニュースを賑わせる殺人事件が割と「近い」ところで起こっている。地元と呼べる地域であったり、友人が近くに住んでいたり。どのケースも衝動的であるからこっちとしては予防のしようもない。
殺すリアリティも殺されるリアリティも、大体の人間は持ち得ない。ただ、確実にそれより多く「ひとが殺されるリアリティ」を持つ人は多い。人が死ぬリアリティなんてもう持ちたくない。ただそれだけの根拠でぼくは殺人を嫌悪しているし、それでいいとも思う。
新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』に「世の中には、恐らく正しいことと本当に悪いことの二つしかない」とある。作中で「本当に悪いこと」は、頭ごなしに「いけない」と決め付けていいことだ、と暗に語られる。その通りだと思う。
憎悪も嫌悪も喪ってはいけない。悪は憎まなければいけない。厭わなければいけない。そして、前提として、悪とは何かを定める作業から逃げてはいけない。意図的に道を狭めてでも、一元的で単純な規範を持つべきなのだ。パラダイムが多い世の中だからって、多角的な見方ばかりをするのでは進歩が無い。時代が混沌としているのなら、鋭角になるべきなのだ、視野狭窄であるべきなのだ。憎悪はそのときに、役に立つのだ。
上に挙げた作品にこうもある。「死んだほうがいい奴は死んだほうがいい」。
個人の思考が細分化する今、この言葉は、どれだけ破壊力が増しているんだろうか。社会的に「死んだほうがいい」奴は、どんな奴で、どれだけいるのだろうか。『タクシー・ドライバー』や筒井哲也の『マンホール』よろしく、そんな人間を探し出して殺そうなどとは考えも出来ないが、衝動的な殺人は、本当に死のリアリティを薄める。それは罪だと思う。衝動的な殺人が起こった後、夏の陽が降る葬式があることを忘れてはいけない。喪服に吸われる熱い光と、ワイシャツの襟をよごす汗があることを忘れてはいけない。それだけで人を殺す気など失せる。
- 2008/07/23(水) 21:01:33|
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最近昔の詩を……詩書き場に投稿してくださる方なら知っておられるだろうデータベースで確認して……見直してこっ恥ずかしすぎて悶絶することもしばしば、でも時折「いいんじゃない?」みたいな作品もあり。結構楽しいです。
ちょっと何回かに渡って、なんとか読めるようなのを掘り出してきてみましょうか、日付つきで。
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『 逍遥 』
遠く ノーマッド
緩やかに 強く
草を水のように渉る
青 赤 黒 群青―――青
空は汚れない
2004/09/13-22:57 ---------------------------------------------------------------------
えーと、この日付だとちょうど高3で、受験期だってのに全然勉強してなかった頃の作品ですね。
結構無駄を出さずにまとめられてるように思います、自分では。この頃、かなりアニミズムに――とりわけ自然畏敬的なところに傾倒していて、どうにか自分の作品の中に自然が織り成した翳を結晶させたがっていた覚えがあります。今でもそれは課題のひとつで、この前小説スペースにのっけた『キュア』なんかでも試みてるところで、どうにか完成させて技術の一つにしたいです。
- 2008/07/08(火) 18:51:30|
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これまた随分前に書いた小説ですが、アップいたしました。右上のリンクよりどうぞ。
それと、個人的な興味から掲示板を作りました。デザイン等はまったくイジっていないですが、雑談・趣味交換に使っていただければなー、と。どうやらココをご覧になってくださる方は総じて博覧強記であるようなので。気が向いたら議論もどうぞ。
- 2008/06/20(金) 19:52:59|
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金曜18時ぐらいから、学内で即興ライブをやる運びとなりました。となりにある動物園まで響くようなノイズを出したいと思います。名前は果たして「ザ・学生運動ズ」で良かったんだろうか。たぶんダメだ。
小説を一つアップしました。既にアップした『ルナティック・ジュヴナイル』とかよりも前に書いていたのですがタイミングを失っていたヤツです。お暇なときにどうぞ。
- 2008/06/12(木) 23:52:24|
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ぼくが生まれて初めて読んだエロ本は、なんてことない写真雑誌だった。ただ、場所はややイレギュラーかもしれない。菩提寺の縁の下でのことだった。木組みをくぐったときにアリジゴクを見たのを今でも覚えている。
これが小1のときだったので、ヰタ・セクスアリスといえばそうなのだが、初っ端がこんなに直接的だと面白くない。でもまー、その雑誌を見た当初は性なんてものを意識してなかったように思う。「エロ本を読む」ことの禁忌性とかによって興奮していたんだろう。
となると、ぼくのヰタ・セクスアリスは、たぶん「ライブマン」のオープニングだろう。ぼくの戦隊モノの記憶はターボレンジャーから始まる。親に買ってもらったビデオに、ターボレンジャーまでの歴代戦隊ヒーロードラマのオープニング集というのがある(未だに持っている)。本編ではない、こういうストライクゾーンギリギリのものが当時から好きだった。
ライブマンのレッド、即ちレッドファルコン(嶋大輔)が搭乗するメカ、ジェットファルコンが敵のザコ戦闘機に接着され電撃を流される。そのときカメラがジェットファルコンのコクピットを映し、エフェクトの中で苦しむレッドのバストショットになるのだが、そこでやたら興奮した。あとブルードルフィンが火炎攻撃を受けて同じような演出になるのにも興奮した。
次に記憶があざやかなのが『火の鳥 黎明編』の、ナギがニニギのトビ・イサハヤを殺した制裁として馬に引き廻されるシーン。手塚の性描写には思春期を経た今までずっと心騒がせられるが、そのはじまりが多分これだろう。着物など破れきり、白目をむいて昏倒したナギのグラフィックスに、恐怖にかき消されない興奮を覚えた。「ここまでやるか」という感動を求め始めたのは、これが最初なのか?
と、書いてみてあまりにも嗜虐に偏っているなと思い、この前は思いとどまったのだった。
ここで嗜虐」という行為に興奮こそすれ、果たしてぼくはどっちの側に回りたいのか、という疑問が生じる。ずいぶん前から、自分のことをマゾヒストよりの人間だと思ってきたが、マゾとサドは決して対のもの・真逆のものではない、というのが最近の考えである。
それはまあ今はどうでもいい。
戦闘モノでは、孤立した弱者が強者に食ってかかり、一方的にいたぶられるという構図が散見される。DBでいう御飯vsベジータとか、御飯・クリリン・ベジータvsギニュー特戦隊とか。るろ剣の第三話とか。そういうシーンで興奮を覚えていた。ここで味方側の一軍キャラが助けに入って事態を収束させると何かしら残念に思ったものである。これは今でもそうだな。
80〜90年代アニメを見てきた人なら分かると思う、汚れた・傷ついたキャラに施される薄い黄土色の模様というかスタンプというか。レイヤーの最上層にある、ちょっと不透明度の低い、わかりやすく埃をかぶせたようなあの表現。アレが使われるのが好きだった、といえるかもしれない。
- 2008/04/25(金) 14:22:14|
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