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ルナトリウム
どこまでいっても文系野郎・シュウのモラトリアム日記。詩(投稿自由)とか小説とかもありますよ。

覚書

ユーロスペースのレイトショーで面白そうな映画がやっている。
ギタリストの大友良英のドキュメンタリというか、記録映画らしい。大友の周囲の人間がゾロゾロ出演しているようで、何かとんでもないぞ。ユーロのページから引用してみる。

出演:大友良英、菊地成孔、大谷能生、DJスプーキー、ヤン・シュヴァンクマイエル、宇波拓、Mattin、飯村隆彦、足立正生、ジョナス・メカス、田中泯、山本精一、PHEW、ジム・オルーク、巻上公一、芳垣安洋、高良久美子、水谷浩章、植村昌弘、杉本拓、ヤマタカEYE、カヒミ・カリィ、浜田真理子、Sachiko M、フアナ・モリーナ、さがゆき、伊集加代、一楽儀光、中村達也、吉田達也、加藤英樹、ナスノミツル、灰野敬二、吉田アミ、ユタカワサキ、梅田哲也、中村としまる、秋山徹次、山内桂、イトケン、Hair Stylistics、秋田昌美、トリスタン・ホンシンガー、刀根康尚、飴屋法水、煙巻ヨーコ、江藤直子、青木タイセイ、石川高、津上研太、近藤達郎、栗原正己、室示戸亮二、大蔵雅彦、島田雅彦、アルフレート・ハルト、アクセル・ドゥナー、ジョン・ゾーン、ブル・ラズウェル、モリイクエ、クリストフ・シャルル、カレン・ブルークマン・ベイリー、ブリュンヒルト・マイヤー・フェラーリ、クリスチャン・マークレー、フレッド・フリス、ボブ・オスタータグ、カール・ストーン、ジョン・ローズ、ジャジー・ジョイス、木幡和枝、椹木野衣、平井玄、副島輝人、佐々木敦、音遊びの会、Otomo Yoshihide’s New Jazz Orchestra、Ground-Zero、Novo Tono、I.S.O.、Incapacitants、sim、Optrum、DJ TRANQUILIZER、他多数[順不同]

東京のアングラ・ミュージックの有名どころが出揃ってるじゃないか!
菊池成孔に、simの大谷能生、d.v.d.のイトケン、mumuの植村昌弘、中村達也に吉田達也、灰野敬二、ジム・オルークに山本精一、更にはPHEW。更には中原昌也と島田雅彦。

もう何がなにやら。レイトショーじゃなければ確実に観に行ったろうに。






久々に、詩書き場にてお題を提示しています。それに際し、ちょっとデザインを変えました。
今回のお題は《メタ》です。個人的に重要なキーワードなので、たぶん長いことこのお題でやります。興味のある方はぜひメタ的に詩を書いてみて下さい。

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  1. 2009/07/29(水) 10:58:16|
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アベフトシまで死んでしまった。

偉大な人、尊敬する人、愛着がある人に、間を置かず何人も身まかられると、音楽を好きでいることの悲しみが感じられてしまう。音楽は大勢が一つの共同体を作ってクリエイトされ、プレイされるものだから、ぜんたい関係者の絶対数が多くて、そのぶん愛着のある名前も増えやすい。だから、訃報に哀しむ回数も増えてしまう。

大学の友人が『世界の終わり』のベースを練習するのを聴いていたり、先日も『バードメン』を口ずさんでいたばかり。胸の内に影が落ち込む心地がする。



  1. 2009/07/22(水) 19:17:06|
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文学的素養は文学に接することによってのみ育まれ、映画、音楽もまた同様にそれぞれ自体の体験によって素養を育める

まあ「素養」をどれほど広く捉えるか、という問題もありますけれど。
とにかく小説を読んでいます、ぼくは!

○ 阿部和重『グランド・フィナーレ』

芥川賞受賞作。
映画学校卒の学歴だけあって、またしても主人公は映像の仕事と関係しているわけだけど、やっぱし面白い。やっぱし、といっても、ぼくは『アメリカの夜』と『インディヴィジュアル・プロジェクション』しか読んでいないのだが、面白かった。
《語り手》に関する実験をしている作品しか読んでいないせいもあってか、物語だけを読めばいいという感触に安心できた。蓮實重彦とか柄谷行人が褒めるのだからそのインテリジェンスは推して知るべし、という阿部和重だが、やはり随所に見られる《ペラさ》は読んでいて苦にならないし、対照的に重厚である修辞も、さすがにレベルが高い。自意識の《描写》は非常に刺激的で、小説を読んでいる心地がした。神町サーガの面白さとかは無知ゆえに分からないが、実際食指が動く。次は『シンセミア』を読もう。

○ 島田雅彦『君が壊れてしまう前に』

中二~中三という特異な時期を日記形式で表現した物語。
ネットでレビューをたぐってみたところ、「mixiとか、人のブログとかを観るのが好きな人ならハマってしまうだろう」という表現があって、一理はあるなと思った。プライバシーとしての領域を覗き見る快感というのが如実に覚えられる作品ではある。もちろんそれを表現するセンス等が作者にあるという賞賛すべき事実を忘れてはいけない。
ダダに惹かれてインプロビゼーションしてみたり映画を撮ってみたり、《アフェア(儀式)》と称する或る行為に没頭してみたり、勉強したり恋をしたり、喧嘩のために学校から硫酸を盗み出したり……こういうエピソードを「中二」というスラングで総括してしまう感性の持ち主は芯まで楽しめはしない作品だろうが、客観的に楽しめるならとても面白いだろう。かく言うぼくも、過去を想起させるエピソードを読むにあたり、客観性と平静を喪って一度文庫本をブン投げてしまったのだが……。
中学生がしっかりグールド聴いたりしっかりニーチェ読んだりするもんか! とも思うが、あれぐらいの知的レベルの中学生というのもきっといるんだろう。我が事と比してみて、ちょっと自己嫌悪に陥った。
現在『ドンナ・アンナ』を読み進めている。こちらも面白い。硬いが崩れないわけではない塊を、コツコツと突き崩していくような快感が、読感としてある。


○ 中上健次『十九歳の地図』

なぜぼくは今まで中上健次を読んでいなかったのか。余りにも痛烈であった。自然的なものものと、その中で躍動する感官の表現がすさまじい。表現されるべきは臭気であり汚わいでありべとつきである、などと言うと短絡的に過ぎるが、鈍らの刃物で体を切りつけられるような感覚は忘れようにも忘れられない。そんなことはないだろうという自信はあるが、収録作『いちばんはじめの出来事』に引っ張られないように気をつけないといけない。
人に自分の文体を説明するとき「梶井と古井由吉と中上健次それぞれをごった煮にしたものの、どれも消化し切れていない感じ」と評してみたが、うまく言えた気はしていない。

表題作『十九歳の地図』は映画化もされていると知り、「(監督は)新藤兼人じゃなかったかな?」と思ったが、それは『裸の十九歳』だった。ちくしょう。
次は『枯木灘』を読もう。

○ 保坂和志『プレーン・ソング』

本当に何も起きない小説。
前にもちょっと触れたので簡潔にまとめたい。
保坂作品を読んでいると、言葉が意味しているもの(シニフィエ)ではなくて、シーニュ(文字や発音など実際に感覚される言葉自体と、それが成す意味両方のこと)全体を感じている気がする。それは「気」に過ぎないんだけどやはり、たとえば彼の作品の《会話》を読んでいると、会話が意味/演出するものでなく、会話そのもののメカニズムというものに合点がいったりする。会話のメカニズムなんて難解に過ぎるのに。そんなもの、本当に合点がいっているなら、ぼくは素人にしてM-1のチャンピオンにだってなれるだろう。
でも保坂作品におけるそういう発見って、形而上と形而下の境をあいまいにするような、そういう威力がある。
『残響』を本棚において保留中だが、『この人の閾』を読み返すとかしたい。あと、やっぱり猫の描写が秀逸なので、『猫に時間の流れる』にも興味が……。




  1. 2009/07/08(水) 20:14:20|
  2. 書籍レビュー|
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詩書き場において、太郎さんと共に《名曲》という言葉をやりとりしたが、いろいろな音楽を聴くにつれ、《What's the名曲》と思うほかない。

どれだけ世に知られていなくたって、羅針盤の曲は名曲の集まりだと思う。
『夢じゃない』もフィーチャーされるけど、『スカーレット』も名曲だ。
手垢はべったりついているけど、『少年時代』も『夢の中へ』も名曲だ。
マイブラの『You Made Me Realise』には飽きが来ない。

ある程度自分に響いたら名曲、というのではない。そういう安直なところには、名曲そのものも、名曲という埒も存在はしない。
もう何年も、そういう領分のことを暴こうとしている。難しいけれど、確かにあると思える。見えないし分からないけど、あることが分かるところのこと。



  1. 2009/06/28(日) 14:29:20|
  2. 日記|
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おまえら皆メガネ極道

昨日、新大久保EARTHDOMで観たノイズバンド・想い出波止場のライブで、山本精一氏が連呼しておりました。

夕方ごろ、友人Mと、Mのサークルの友人・O氏と合流。ぼくは彼らが学祭でギャング・オブ・フォーを朝イチの枠で演奏したうえ、MCで女性器名称を連呼する様を撮影・編集しソフト化した過去があるため、実質的な初対面であるO氏との交流はとてもほがらかなものとなった。ちなみにMはそのパフォーマンスのとき、ボーカルにもかかわらずシンバルを一つあてがってもらい、スタンドを蹴り倒し踏みつけて破壊した。

押しとなった開場時間を待つあいだ、意外な集客・開場待ちの行列に驚きつつ、雑談。

M「山本が言ってた(ぼくとMは、去年連れ立って山本精一の講演を聴きに行った)アルゼンチンの
  音響派は、いいよ」
シ「音響派って、ぜんぜん聴いたことない」
M「いや、あんまりインストインストしてなくてイイよ」

O「最近はアニソンを少々」
シ「ああ、アニソンって、たまにメチャクチャ歌メロがいいのとかあるよね」
M「あるねー、それはしょうがないね」
O「ブライガー分かる?」
シ「銀河旋風?」
O「そう! あれのOPがスゴイカッコイイ」

M「ユーミンのファースト買っちゃった」
シ「いいだろォ。全部いいだろ」
M「ありゃあ、いい」
シ「あのドラムってさ、陽水のバックとかやってる人なんだよね、確か」
M「あ、そうなの? 松本隆じゃなくて?」
シ「いや、鈴木さんと細野さんはいるけど、松本隆はやってないよ(仲良くなさそうだよね実は)」

O「皆、どういうタイミングで想い出聴くんだろう……出勤前とかに聴く気になるのかな」
M「俺は聴けるけどね」

という話をしているうち、入場。
三人が三人とも、山本精一のディスコグラフィには触れつつ、客層が全く予想できずにいた。しばらく入ってくる人たちを見ていると、その幅の広さにおどろく。
ある程度サブカル色が強いのは共通しているが、20~50代の男女が満遍なく……。今まで体験したことのないカンジである。腰掛に座り裸足になって、ハードカバーの小説を読む人や、立ったまま『ユリイカ』を読む人もいた。ライブハウスの光景としては不自然だったが、不思議と納得できた。
O氏は岡村靖幸のライブを観に行ったとき、割と自分より上の年代のひとたちに囲まれたそうだが、ぼくも高三のときにアース・ウィンド・アンド・ファイヤーを観に行った際、似たような体験をした。
開場が押したこともあり、予定の時間が過ぎても始まる様子がない。ドリンクを受け取ると、また雑談。

シ「最近はジャムですね」
M「ザ?」
シ「ザ・ジャムですね」
M「ジャムっておしゃれっぽいよね、あのへんにしては」
シ「それは、クラッシュとかと比べてってこと?」
M「うん、なんていうか、おしゃれな感じがある」

なんてことをつらつらと話していたら、轟音でSEがかかり、ライブが始まった。
このSEが尋常ではない。ものすごい高音域のジャリジャリしたノイズが容赦のない音量で襲ってくる。シャレでなく、このレベルのノイズを一、二時間やられたら、聴力そのものはおろか可聴音域にまで影響する、とさえ思った。

肝心のライブだが、何があったのかよく覚えていない。とりあえずアルバム『金星』から『Go』をやったのは覚えているし、タイトルにあるフレーズを連呼されたのも覚えている。しかし具体的な記憶がぜんぜん蘇らない。全員が全員すさまじく上手く、激しく複雑なビートの上でこれまた激しく複雑なルートが絡み合っていたのは覚えているが、いやはや……。
何か初めて満足とか不満足から乖離したライブを観た気がする。MもO氏も似たようなことを言っていた。

山本精一の超フォークバンド・羅針盤のアルバムが復刻するそうなので、マンモスうれピーです。



  1. 2009/06/08(月) 17:31:06|
  2. 日記|
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